宇都宮家庭裁判所で法的に解決を臨んだが冤罪判決であり、承服できない。裁判は5年に亘り実施した。全て敗訴で裁判は終わった。

承諾できないから支払い命令には応じられない。しかし、生命与奪の国家権力を行使し、差押命令で資力を根こそぎ、持っていかれた。冤罪裁判で支払えないから住宅等の競売をされるでしょう。もう、住む場所も社会経済活動もできない状態まで追い込まれている。ネット決済などはどうしてもクレジットカードが必要であり、銀行に預金が必修であるが、全て差押命令で没収された。

冤罪DVを誘発する特殊な背景があったという言い訳は通じない。神ならぬ人が担う司法だからこそ、「疑わしきは罰せず」の鉄則があるのだ。無罪の訴えにも真摯(しんし)に耳を傾けるべきだった、と批判されてもやむを得ない。法曹は、その自覚をもっと深める必要がある。「悪を懲らしめる」。そんな素朴な正義感が司法の底流にあっていい。

調停から始り、控訴・抗告と最高裁判所まで裁判をしたが本人訴訟が故に闇打ちされた。これは明白な職業による差別である。当然に最高裁は三行半を突き付けてきた。


精神障がい者も糖尿病も病気である。薬を服用しなければ、治癒しないのである。糖尿病は、死に至るが精神障がい者は薬の服用を中止しても死には至らないが、自傷・他傷害を引き起し、迷惑である。

妻は、信仰宗教を信心し、そして祈祷師も信頼して娘に医師の治療方針に従わず、娘の病識を認識できないでいる。

一旦、宗教とか祈祷師に依頼する心境は、容易く電気のスイッチを入り・切の様に人間の心は切りかわらず残さが残るのである。宇都宮家庭裁判所判事 間部 泰は、宗教や祈祷は一時的と曲解した判決文を作成した。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律を遵守し、娘の治療をした。私は、宗教や祈祷師に自分が働いて得た俸給をなんのためらいもなく、金員を浪費することに、疑問を抱き、金銭管理を私がすることにした。これが、家族崩壊への道筋になった。

以下の新聞記事は糖尿病治療を祈祷師に治療を依頼した結果であるが、精神障がい者の治療拒否も娘は社会経済活動に参加できず、いつまでも未成熟子の子である。